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安岡正篤先生と田中角栄

このお二人は、両名共にわたしにとっては
大変尊敬している人物なのですが、
そのお二人の間に面白いエピソードがあったことを
発見したので、今日は少しそれをご紹介します。

田中角栄のことは言うに及ばずでしょう。

ですが、 安岡先生 のことは知らない方も多いかもしれませんね。

今の日本の学生さんには是非勉強していただきたい方です。

 

安岡先生は、歴代宰相や財界首脳の指南役 と言われた方です。

吉田茂、岸信介、佐藤栄作、大平正芳、中曽根康弘と、
戦後の歴代宰相が安岡を師と仰いで意見を聞いたといわれています。

今の元号である、 『 平成 』 の名付け親としても有名な方です。

そんな二人にまつわるエピソードです。。。

昭和47(1972)年9月、首相就任間もない田中角栄は訪中し、
一挙に日中国交樹立を目指した。

周恩来首相から「台湾との断交について、発表の時期を明示せよ」と
迫られた田中は、「とくかく私を信用してまかしてほしい」と粘った。

周恩来は「ならば君を信じよう」と言い、

「言必信行必果」(言必ず信、行必ず果)と
書いた色紙を田中に贈った。

帰国後、マスコミは「これこそ日中友好のきずな」と大いに持ち上げた。

しかし、これを聞いて 一人嘆いた人物 がいた。

「なんと情けないことか! 一国の首相が揶揄(やゆ)されたとは。」

この言葉は、論語から採られたもので

  「言うことは必ず偽りがなく、行うことは潔い」人物は、
まあ士のうちに入れてもいいが、こちこちの「路傍の石のような小人よ」と続く。

「先生なら、どうされましたか?」と聞かれて、こう答えた。

わたしならば、 即座に突っ返したね。

そうすれば周恩来は、この人物はあなどれないと悟って、
こう言ったはずです。

「これはあなたへの言葉でなく、私周恩来への箴言(いましめ)として書いたものです。
こんなわたしですが、末長くおつき合い願いたいものです。」

一国の外交に携わる者は、相手に一目置かれないといけないね。

中国側から揶揄された形で始まった
「日中友好」は、日本側では幻想から幻滅へと変わっていく・・・。

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