師の志
投稿者: 赤井 基純 | 投稿日: 2007年01月25日 | カテゴリ: | パーマリンク
わたしには いろんな お師匠さま がいます。
それが、わたしの唯一の自慢です。
学べる人を多く持つことが、一生を幸せにするための秘訣であると思っています。
人生には様々な “ 座標軸 ” がありますよね。
わたしでしたら、
● 個人としての赤井
● 家族の中でのわたし
● 事業家としての赤井
● 社長としての赤井
● 日本人としての赤井
● 関西人としての赤井
などでしょうか。
価値観の持ち方により 様々な座標軸が存在することになるのだと思います。
特に “ 事業家としての赤井 ” を形成していく上で
最も多大な影響を与えてくれた 私の お師匠さま が
1月23日にお亡くなりになられました。
享年55歳。
私が、この方から一番学んだものは、思い返すと ありすぎて分かりませんが
一つ と言われれば、 “ 笑顔 ” でしょうか。
本当に、誰の心も捉えてしまう
愛くるしい笑顔で、いつも ニコやか に笑われます。
最高の笑顔をもつ、私のお師匠さまは
太く、短く、この世を駆け抜けられました。
人生50年。
という風に昔は言われました。
織田信長は、この句を好み、 “ 敦盛 ” の舞をよく踊ったと伝え聞きます。
本当に早すぎる人生でした。
この方への私の想いは語りつくせるものではありませんが
今の気持ちを記しておきたく書くことにします。
それは、その方と私との 約束 でもあるのです。
ですから、ここから先を読んでいただける方は
覚悟くださいね。
きっと、長い・・・。
そして、きっと、まとまった文章にはならない。
それでも、読んでみたいと思われる人だけ
覗いてみてください。
お師匠さまからは 本当にたくさんのことを学びました。
そして 学んだだけではなく、様々な有形無形の財産をいただきました。
わたしが その方と 事業を共に興す前に
“ 約束したこと ” があるのです。
わたしが その方から事業のお誘いを頂いたときには
まだ、一社会人として、商社に勤務していました。
最初にお声がけを頂いた時は28歳の時だったかと思います。
その頃は、わたしも商社の一営業マン。
その方の会社には、よく足繁く通い 仕事をしていた時でしたが
その時はまだ、その方と ほとんど面識もなく、ゆっくり話をしたこともなかったのです。
1度だけでしょうか。
わたしが会社の方と商談中に ヌ~ッ と
貫禄タップリの白髪の その方が 入ってこられました。
そして、
『 あと1500円引いてくれや。 俺がメーカーと交渉したらそのぐらいには出来る。 』と
笑顔たっぷりで ムチャ なことを言われたのです。
それを受けたら、ウチは大赤字でした。
誰が交渉しても、そんな価格にはならないことは想像つきましたし
その方も、きっと最初は半分冗談のつもりだったと思います。
ここがチャンスと思い、即答で
『 大丈夫ですよ。その代わり、必ず採用ください。 』 と
言って、約束いただいたことを今でもよく覚えています。
それだけでした。
ですから、何故 わたしを そんなに熱心にお誘い頂けるのか
まったく理解できなかったのですが、 その方の人間性や人間味は
なんとなく 大きく あたたかいもの は感じており、不思議とその方への
“ 良い想い ” はなんとなく感じていました。
なんなのでしょうね。。。
その方がかもしだしていた、 オーラ のようなものは
非常に魅力的で あたたかい感じ がしたのです。
きっと、この方を 知る人ならば
わたしと同じ思いを経験されたことと思います。
わたしが、共に事業をしていく上で 明らかにさせたかったことは
“ 志 ” でした。
わたしと その方 お互いの 志 です。
目上の方に そんなことを聞くわけですから
もちろん、それなりの用意が必要です。
わたしから まず その方へ
自分が何を志している人間なのか知っていただいた上で
その方の志もお教え頂こうと考えました。
少し、そのとき その方に 示した手紙をご紹介いたします。
(下記からが その方への手紙)
『 赤井 基純 の心得 』
偉そうな表題ですが、例え一人でも他の人間の人生を背負い、事業を運営する
責任者に成らせて頂く以上は、自分の考え方を明確に示すべきだと考えます。
よく●●代表がおっしゃる 『 線香一本のこだわり 』 には非常に共感いたします。
私自身も自分の死に様、死に際にはこだわりがあるためでしょうか。
ゆえに、私の考え方も代表には事業を創める前にしっかりとお伝えすべきだと考え、
下記にまとめます。
【私が最終的に目指すもの】
それは一言でいってしまえば、『 投資家 』 です。
ただ、金融商品や不動産等に投資するものを目標にしているのではありません。
『 人に投資できる投資家 』 を目指します。
自分自身の学生時代からの経験から、
『 人一倍やる気はある。だが、そのやり方・道がまだ見出せない。 』 という
人間の気持ちは良く理解できますし、常に自分の現状に疑問点を持ち、
行動を興そうとする人間が好きです。
そういう人間とたくさん組んでいきたいと強く願います。
『 自分の下に置く 』 という発想ではなく、『 組む 』 という発想です。
ですから、自分よりも能力が低いと思われる人間とは組みたくはありません。
何か一点でも、私自身が持っていない 光を持つ人間達のことです。
今回のPJで私が集めた人間も、声を掛けている最中の人間も
そういう観点で協力を依頼しました。皆、はらわたの綺麗な人間です。
互いに敬意を持ち合える関係。
それが 『 組む=パートナー 』 ということだと考えております。
そういう人間にドンドン投資していくことは、社会の発展
そして自分自身の発展にも必ずやつながると確信しております。
ですから、私は死に際には自分の現金資産は 『 0 』 で死ぬことが
ある意味目標です。
もちろん、それまでに次世代へ継承できる人間を発見し、
全てを伝えきる。ということが目標だということです。
『 金 』 は力になり得ます。 しかしそれは 『 まわすもの・手段 』 であり
その力こそは 『 また更にお金を生み出す方法・手段・その力の伝え方 』 を
ちゃんと継承させるということが重要だと考えております。
もちろん、そういう 『 人間を見抜く慧眼がなくてはならない 』 ということでしょうが。
ですから、●●代表と出会え、またその力を与えていただき、
様々なご指導を頂けることは、私にとっては、目標であったことであり、夢であり、
ワクワクすることであり、至福のことです。
学生時代から 『 本格的に自分が独立する際には、人様から投資して頂けるような事業であり、
自分でないと出来ないことをしたい。 』 という 強い信念 がありました。
ですから、これから●●代表から頂くであろう 投資 や 力 や 教え に関しては、
●●代表にお返しするものではなく、次世代へ継承させていくべきものだという考えでいます。
これが私のアイデンティティーであり、これからの全ての事業計画の根本になります。
私より若く力のあるものと、一人でも多く出会い、
その人達と共に発展していくことが夢であり、目標であり、人生のビジョンです。
●●代表との出会いに感謝いたします。
また、私を見つけていただき、その力を惜しみなく
注ごうとして頂けることに本当に感謝しております。
(以上)
今、見返すと その時の自分は
若いなぁ~ っと、 思ってしまいます。
わたしが28歳の時に書いたものですね。
よく、恥ずかしげもなく
こんなこと言ったものだと 今想うと、 赤面する想いです・・・。
ですが、今も その時も
わたし自身の “ 想い ” としては まったく変わりません。
わたしが事業を興すキッカケになったのも、
お師匠さまから半ば強引に引っ張ってもらったようなものでした。
大学時代に事業をしていたわたしにとって、手紙の中にもあったように
一度飛び込んだ サラリーマンから再度、事業家へなることがあるとすれば
きっと、それは 目の前に “ やらざるを得ない状況が生まれたとき ” だろうなと
漠然と考えていました。
つまり、
● お金を溜めてから
● やりたいことを見つけてから
とか ではなく、
“ 事業そのものの可能性が目の前に拓かれたとき ” ということです。
お師匠さまとの出逢いが、わたしにとっては
まさしく “ その時 ” だったのでしょう。
そして、手紙に書かれてある
お師匠さまが おっしゃっていた “ 線香一本のこだわり ” が
お師匠さまの “ 志 ” のことなんです。
わたしが お師匠さまに “ 志 ” を問うたときに
こういう風に おっしゃられました。
『 赤井ちゃん。 俺には そんな大層なものは 特にないかなぁ~。。。
でも、自分の葬式のときに 何本線香が立つか!には こだわりたい。
自分がどういう生き方をしてきたかという証になると思うんだよなぁ~。。。 』
と、今思えば
とても とても 良い笑顔で おっしゃられたことを
昨日のことのように 思い出します。
この時、冗談で
『 では、代表がお亡くなりになられたときには 僕が葬儀委員長をしますよ! 』
などと言ってました。 (今考えればたわけたことを言いいました)
ですが、お師匠さまは笑いながら 嬉しそうに
『 頼むわ! 』 と
言ってくれたことも鮮明に覚えています。
この言葉こそが、今想えば
“ この人ならば大丈夫。 信頼できる、大きなひとだなぁ。。。 ” と、
わたしが事業を興す キッカケ になったものだと思います。
創業してから、
経営者として ヨチヨチ歩きの 未熟なわたしは
それはもう、失敗の連続でした。
自分の想いだけで突っ走り過ぎたこともたくさんありました。
その時まわりにいてくれた方々を たくさん傷つけてしまうことも
たくさんありました。
それでも、人に接するには
手加減することこそ、最大の失礼と考え
突っ走りました。
そんなある時、お師匠さまから 言われたことがあります
“ 気負いは分かるが、それが廻りに見抜かれるようじゃダメだ。 ”
と。
論理ではすぐに理解しましたが、
その時の 未熟な未熟なわたしでは、
それが精一杯でした。
今想えば、昨年の3月末日にお逢いした日が
最後の別れ となってしまいました。
その時、 お師匠さまと 相対していたときの
お互いの心境は、きっとお互いに曇り空だったかと想います。
事業をしていますと、いろんなことがあるものです。
お互いに、自分の社員を持つ、経営者ですから
守るものも、守るべきものも いろいろあります。
それこそ、様々な座標軸を持っているわけです。
経営者というものは
個人の想いだけで、動けないときも あったりします。
ですが、わたしにとって “ お師匠さま と 弟子 ” の関係は 一生もの なのです。
その日以来、わたしはなんとか 認めてもらえるような自分になって
もう一度、お師匠さまのいる 栃木まで会いに行こうと思って、今日まで踏ん張っていました。
3月末日まで頑張りぬき、新しい期を迎える4月には
新しいことを報告しにいけるようになりたい!
と考えていました。
遂に、それを果たせることなく、お師匠さまの “ 死 ” をむかえてしまいました。
正直、今はなんの実感もありません。
ただただ、虚無感があるだけです。
心に大きな穴があくということを
生まれて初めて経験しました。
こういうことを言うのですね。
不思議な感じです。
寂しさは もちろんあるのですが
今は、その死に対して 実感がない分
お師匠さまから今までに貰った言葉が
まるで意志を持っているかのごとく
わたしの頭の中をグルグルと駆け巡ります。
わたしは お師匠さまとの約束どうり
お師匠さまから 学んだことを 少しでも
わたしより 若い方々に伝えることができるような
事業をしていきたいとあらためて強く決意いたしました。
人から頂いた恩を、その人ではなく、次の世代へ返していく。
こういう考え方を
“ 報恩謝得 ” (ほうおんしゃとく) というのだそうです。
お恥ずかしながら、この言葉を知ったのは今年の年初です。
たまたま、もう一人の お師匠さまから
お教えいただきました。
こういう風になり、はじめて その人の大きさを思い知り
人との縁の大切さや貴重さ、かけがえのなさ を思い知らされます。
こんな形で、 また こんなに早く
“ 師の死 ” をむかえるとは思いもしませんでした。
今、師が言っていた
“ 線香一本のこだわり ” も 少しですが 分かる気がいたします。
本当に 少しだけですが。
師の ご冥福を心よりお祈りいたします。
