言葉のチカラ
[金澤 貴司]
改革とは一体どういったものを言うのでしょうか。
三省堂の「大辞林 第二版」にはこうあります。
(1)基盤は維持しつつ、社会制度や機構・組織などをあらため変えること。
「役所の機構を―する」
(2)よりよくあらためること。
個人的には、「改革」という言葉の持つイメージとしては控えめに感じます。
特に、二番目の「よりよくあらためること」という意味では、改善と変わらない気がします。
「基盤を維持しつつ~」とありますが、僕自身は基盤から変えてしまう事を「改革」と呼ぶ、
くらいのイメージを持っていました。
もっと大胆に、根底から、今までとは全く違った方法や手法で、といった
希望や可能性を感じさせる言葉として。
だからでしょうか。
先日、中国で行われたサッカー日本代表が参加した東アジア選手権の試合には
少しばかり落胆しました。
前任の監督が病で倒れ、急遽監督を引き継ぐ事になったとは言え、
監督自身がマスメディアに対して発する言葉と現実にはかなりのギャップがありました。
ここでは詳細には触れませんが、つまり、「改革」を掲げたものの前進していないのです。
何かが改善されたという部分が見受けられないものでした。
これはサッカーだけでなく、政治のシーンでもよく感じます。
圧倒的な支持率を誇った小泉元首相。
「構造改革」というスローガンを掲げ、周囲の反対にも動じず
自身が決めた事をやり抜く。
力強く、端的で解り易い発言に期待を覚えました。
何かよくは解らないけれども、「何か」を変えてくれそうだと。
しかし、実際のところどうでしょう。
私たち国民レベルで感じれる「改革」が果たしてあったでしょうか。
サッカーにしても、政治にしても、おそらく僕と同じように期待し、
落胆を覚えた人は少なくないのではないでしょうか(あるいは始めから期待していなかった
という人もいるでしょう)。
有言実行が出来れば苦労はありません。
時には、大言壮語が必要な時もあるでしょう。
でも、その言葉に希望を覚え、付いていく人がいる以上、
やはり期待には応えて欲しいものです。
そして私たちも、そろそろ気付かなくてはならなりません。
言葉のマジックに。
「改革」に必要以上の期待を抱くだけではなく、
その人が具体的に何をするのかを見極めなくてはなりません。
何を、どのように、いつまでに変えて、結果どうなるのか。
そもそも果たしてそれが可能なのか。
私たちは、よくも悪くも言葉に左右されます。
言葉によって、感情が動き、イメージを喚起し、意味を理解します。
ひとつの事実についてでも、良いようにも悪いようにも伝える事が出来る。
それが言葉です。
言葉に踊らされるのではなく、言葉の奥にある本質を見極めたいものです。