訃報から・・・(その1)
[赤井 啓真]
ご無沙汰しております。(苦笑)
新年明けて以来、ちょっと忙しくてブログをサボってしまいました。(笑)
筆不精な僕ですが、できる限りの週一更新を目指して頑張ります!!
さて、タイトルにもあるとおり、この週末にとても悲しい別れをしに、関東の方に行って参りました。
弊社、代表のブログにもありますとおり、弊社の創業の大いなる礎を作って下さった恩人であり、恩師がこの度55歳という若さにも関わらず、この世を旅立たれることになりました。
今回から、しばらくはこの恩師のお話を綴ろうかと思っています。
恩師は皆から、「代表」と呼ばれていました。
「代表」は文字通り、経営者つまりCEOを表すものでしたし、彼一流の人徳から愛称と化していたかと思います。
『巨星堕つ』その最後には、そんな言葉がふさわしい方でした。
事業家としては途方もないスケールで物事を考えることができ、
誰よりも熱い情熱で多くの人を巻き込んでいきました。
上司としてはよく人を用いて、これを動かすことができ、
人としては最高の笑顔と優しさで人を包み込んでいくことできました。
多くの人のために心のそこから真剣に関わり、愛に溢れた人だった思います。
訃報を聞いたのは、1月24日の夕方でした。
その日は、特に忙しいという日ではありませんでしたが、近々稼動させる予定のプロジェクトの詳細な打ち合わせを行っており、微に入り、細に入りで綿密に調整していたために、少し気づかれをしていました。
『あーーーー、づがれたぁぁぁぁ。』
なんて言いながら、コーヒーを持って一息ブレイクしようと休憩室に入った矢先、
弊社のアドミニチームの女性が、
『代表が亡くなったんだって・・・。』
と、神妙な顔をして言ったのです。
『!?!?!?・・・えぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!』
『なんで!?!?!?!?どっか悪かったの????いつ????』
と、とにかくパニックになりそうな自分と冷静に代表の訃報の情報を精査しようとする自分とが交錯していました。
いずれにしても、『信じられない・・・』という思いだけが頭をめぐりました。
「代表」は、頭は白髪で、眼光も鋭かったこともあって、見た目には60歳をとうに過ぎているような風貌でしたが、彼の年齢が、僕の父親よりも遥かに下回っていることを知っていた僕は、彼のそのあまりにも急ぎすぎた逝去をただただ惜しむだけでした。
とにかく、その日は忙しい仕事もそこそこで切り上げてさっさと家路につきました。
『心にぽっかりと穴があく』などとは、ドラマや小説や映画ではよく表現されるものですが、本当ですね。
とにかく考えごとができなくなるんです。ビジネスのスキームやアイデアを考えて、資料化したり、調整したりしている合間、合間に「代表」の笑顔や言葉がフラッシュバックのように交錯する・・・。
『いるだけで安心する』という存在感を持っていた代表だけに、その存在がなくなって
しまった『今』が悲しくてしょうがなかったのですね。
ただ、家路に帰る前に、代表がビジネスで関わっていて、僕が知りうる人材にだけはとにかく訃報を直接お電話でご連絡差し上げるようにしました。
・・・というのは、僕が逆の立場でビジネスでお世話になっている相手ならば訃報の連絡
は誰よりも早く欲しいと思うからです。個人的には、訃報の連絡だけはビジネス・
プライベートに関わらず、自分が媒介できる故人の人脈については、知りうる限り
連絡するべきだと考えています。・・・
訃報をご連絡差し上げた人の大半が未だ「代表」がお亡くなりになったことを知りませんでした。
「代表」は文字通り、経営者、つまり最高責任者でありましたから、体調が悪いことや、 まして、死期が近いかもしれないことなど、口外すれば経営環境の悪化を招きかねないかもしれないわけですから、そのそぶりすら出さなかったことでしょう。
そうしたことも拍車をかけたのか、皆一様に驚き、彼の存在と逝去の早さをただただ、惜しんでいました・・・。
そして、その日は『代表』の大きさをかみ締めながら家路に着いたのでした・・・。
(つづく)